自己紹介

  • 1964年5月17日 北九州市出身
    福岡県立門司北高校卒業
    新日本夫人の会「ひとりぼっちのママをなくす」に取り組む
    北中、桔梗丘高校PTA会長歴任
  • 2006年市議会議員初当選〜
  • 議会運営委員、総務企画委員、教育民生委員副委員長、政策調査部会副委員長、産業建設委員副委員長、議会だより広報委員副委員長歴任
  • 党県委員、党名張市委員長
  • 家族は夫と次男・次女とラブラドール、長男・長女は結婚して孫4人
  • 住所 すずらん台西4-202 電話・FAX 68-3552

 

私の歩み

幼いころ〜学生時代

北九州市門司区の山も海もある自然豊かな土地で生まれました。春は山菜取り、初夏には潮干狩り、秋には米の収穫の手伝い、冬は田んぼで凧あげをして遊びました。子どものころから元気いっぱいでした。
中学校時代は、バスケットボール部に入り、副キャプテンとして毎日汗を流していました。高校生になり、音楽に興味を持ち、同級生の女の子とバンドを組み、文化祭で演奏もしました。

(写真左)中学生の頃
(写真右)中学1年生の頃(バスケットボール部)白の体操着が私です

日本共産党との出会い

宝飾店で働いていた頃(24歳)

両親は私が、幼稚園の頃から共働きでずいぶん寂しい思いをしました。父は大工をしていましたが、賃金の不払いなどがあり、生活は楽ではありませんでした。高校卒業後、大手電機会社小倉工場の期間工として寮に入り、2交替でICチップをつくりました。その後、宝飾店に就職しましたが、就職が決まった日は、国鉄職員〈国労組合員〉だった夫が解雇通告を受けた日でした。そして、バブル全盛の頃、名ばかり店長で売り上げノルマと長時間労働で体調を崩してしまいました。そんな時「人間らしく生活するための社会づくり」をめざす日本共産党と出会い入党しました。

地域のみなさんとごいっしょに

地域のみなさんと

子どもが生まれてから、地域の同じ子を持つお母さんと一緒に新日本婦人の会の幼児教室に参加、「1人ぼっちのお母さんをなくそう」「みんなで子育て」をと地域活動(PTA、子ども会)に積極的に取り組みました。こどもの成長とともに、小学生の算数教室を始め、「数学で育ちあう会」の講師になりました。

子どもの元気な笑顔が原動力

私は子どもの元気な笑顔が活動の原動力です。長男が自立し孫も生まれましたが、若い世代の生活は厳しさを増し、体も精神的にもぎりぎりではないでしょうか。また、親も歳をとっていく中で「健康で文化的な人としての尊厳をもった暮らし」ということを改めて考えさせられました。

憲法を守り生かす

国民の苦難軽減が立党の精神、日本共産党議員団は、国会と地方議会の連携をはかり、暮らしを守るために力を尽くします。

 

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