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【08.08.31】原水爆禁止世界大会に参加して
8月4・5・6日 広島
今年で50周年を迎える平和行進を歩き(名張市の6月17日)この大会に参加する人、高校生のグループ、医療従事者など職場の団体や、親子での参加や、世界各国からの参加など、6千8百人が集いました。4日の開会総会では、国連軍縮問題担当上級代表の、セルジオ・ドウアルテさんや、秋葉忠利広島市長が、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現にむけた発言がありました。5日の分科会では、2010年を核兵器のない世界への転換点にと、様々な催しが17会場に分かれて行われました。6日は、午前8時からの平和記念式典に参加し、その後世界大会閉会総会があり、原水爆禁止2008年世界大会・広島決議を採択しました。
63年前の8月6日、広島に原爆が投下され、千度以上の熱線と爆風で、一瞬にして14万人々の命を奪いました。8月9日には、長崎に投下され、7万人以上の人々(名張市人口と同じほど)の命を奪いました。その後も、多くの被爆者の命を奪い、原爆死没者は25万8千3百十人になりました。原爆は、今も、人々の心と体を傷つけ、苦しみは続いています。
18歳の高校3年生の息子と初参加し、暑い広島で原爆投下を考えました。いくら話しを聞いても想像であって、当時の様子や被爆者の苦しみは、どれほどのものだったのか、とても言葉では言い尽くせないものでしょう。5日の夜にあった女性の集いで、被爆女性から「確かに原爆を落としたアメリカは憎い。だけど、憎しみから平和は訪れない」という話がありました。家族を亡くし、63年間後遺症と差別に苦しみ、つらさをおて、被爆体験を語る、本当に深い平和への思いを学びました。高3の息子は、同じ高校生の自主開催の催しに参加し、「こんなに、平和について真剣に考える人が、いるのか」と市外の高校生と意気投合し、視野を広げることができました。
日本は、核戦争の惨禍を世界の中で唯一体験し、その悲惨さむごさを知る国です。そして、多大なる犠牲をもとにしてできた、戦争と戦力を放棄する憲法9条と非核三原則を持つ国です。憲法9条があるからこそ、日本は戦後63年間、戦争によって一人もなくしていないし、人を殺してもいないのです。また「人類と核兵器は共存できない」と訴え続けた被爆者の声は、廃絶に向けて大きな流れを作りだし、テロや核拡散防止の理由で、核兵器の保有・核脅迫や軍事攻撃を正当化することは、まったく通用しません。悲惨な現状が続く、イラクやアフガニスタンの現状が、はっきりと示しているものです。私たちは日本の宝、憲法9条を守り、「核の傘」の名の下に、核を保有する国に対して、人類滅亡の危険を説き、世界の人々が希求する「核兵器のない平和で公正な世界」のために力を合わせる時だと実感しました。
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